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カミソリ後藤田、死去。
 官房長官や副総理を歴任した元自民党衆院議員の後藤田正晴氏が死去した。政府関係者によると死去は19日。91歳。徳島県出身。自宅は東京都渋谷区広尾4-1-17-506。密葬は親族のみで済ませた。お別れの会を東京と徳島で行うが、日程などは未定。
 これまで死去を公表しなかったのは「故人の遺志」によるものという。19日午後8時53分、肺炎のため、東京都文京区の順天堂医院で死去した。
 1914年、徳島県旧美郷村(現吉野川市)生まれ。東京帝国大学法学部を卒業後、39年旧内務省に入省。69年警察庁長官。72年、警察庁長官として連合赤軍あさま山荘事件の解決を指揮。退官後、田中角栄元首相に請われて政界入りし、田中内閣の官房副長官を務めた後、76年から衆院議員(徳島全県区)に7期連続当選。96年に政界を引退した。大平内閣で自治相、中曽根内閣で官房長官(通算3期)、初代の総務庁長官、宮沢内閣では副総理・法相などを歴任し、引退後も政界の御意見番として発言が注目された。
 田中角栄元首相の「懐刀」、中曽根康弘元首相の「知恵袋」と呼ばれ、歴代政権から頼りにされてきた。鋭い洞察力や歯にきぬ着せぬ発言から「カミソリ後藤田」の異名をとった。し、 一方で、87年のペルシャ湾への掃海艇派遣問題では中曽根首相に苦言を呈し派遣をやめさせるなど、戦前の体験から自衛隊の海外派遣は「アリの一穴」と懸念し、慎重論を唱え続けるリベラルさも併せ持った。89年のリクルート事件後は政治改革を提唱。宮沢内閣では副総理として衆院選挙制度改革の実現に向け、自民党と内閣の調整役を務めた。宮沢首相の後継総裁選では、党内で出馬を求める声も出たが、高齢などを理由に固辞。河野洋平氏が後継総裁についた。
 政界引退後も危機管理などを中心に、歴代内閣の指南役として活躍。「内閣官房長官」「政治とは何か」などの著作のほか、新聞・雑誌で健筆を振るった。98年11月には2001年の省庁再編後の名称について検討する小渕恵三首相の私的諮問機関「新たな省庁名称の検討に関する有識者懇談会」の座長を務めた。
 また最近は、小泉純一郎首相の靖国参拝に批判的な自民党議員でつくる「靖国問題研究会」の7月の初会合に講師として出席し、「小泉首相に参拝の再考をお願いしたい」などと力説した。

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出会い系に自腹で潜入!?
……ホントにやっちゃってるらしく(w

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